三内丸山遺跡(柳田国男)
柳田国男さんが三内丸山遺跡に直接関係している訳ではありません!
この方が→遠野物語、をずさんに出版している所に問題があります。
これは→佐々木喜善さんから聞いた話を→まとめているだけの極めて問題が多いモノです。
その杜撰(ずさん)を→民俗学の父、などと言えません!
*東大、と言う肩書きの上に乗っているだけです!
しかも→ヨイショしている方々がいます。
ヨイショしている方々は→この御輿を降ろす事をしません!
*民俗学学なるモノ自体が→柳田国男さんによって不毛な議論に刷り代わっています。
*遠野とは→私の一族が築いた地です!
その私の家が→遠州(昔の→静岡県西部)また→浜名湖(遠淡海とうつおうみ)→などが→遠野に行ったからです。
*遠、とは→猿の事です!
猿は→申、です!
ですから→民俗学とは→私の家の事(石器時代からいる)の→謂です!
*結果→ヨイショの民俗学があまねく行き渡り、その後の日本は→おおむね杜撰な→歴史觀になっています。
*この遠野の地には→小友村、附馬牛村、などがありました。
この村の地名は→毛利さん一族などが→入植した、と言う意味の地名です。
馬→毛利さん。
牛→南部さん。
ツケウマ、とは→付け馬以外にありません!
(ただし→つきもうし、と読む)
*六角牛(ろっこうし)が→遠野盆地にあります!
盆地の南部には→曲屋(家)が分布しています!
*その遠野物語には→私の家が→河童や九尾狐などになっています!
*ですから→柳田国男さんの描いた民俗は→朝鮮半島の方々の→民俗で→日本の→民俗ではありません!
これが→日本の歴史総体を暗くしています。
つまらないモノがあるから→それを除去して三内丸山遺跡を書けます。