疑問符が付く群馬県の過去

昨日安土城を見ました。
安土・とは間違いなく、群馬県の安中から付けられた名前です。
私の家が群馬県の地主であり、魏の王を弟に譲って、日本で遺跡造りをしていた!という事を知っていたのが織田信長さんです。
ですから「安土城」は私の家を迎える為に造っていた、と言えます。
暇があったら「はてな」さんが調べて下さい。

さて、その群馬県には「上毛カルタ」があります。
上毛三山とは→赤城山榛名山妙義山・を言います。
ですが、あ・は赤城山ではありません。
あ・は→浅間のいたずら鬼の押し出し。
ここが核心の部分です。
つまり「上毛三山」とは、多胡碑に書いてある「藤原。石上。保積」という、悪人三山、この山も8・の「山」という可能性が大です。

時を同じくして、弾圧が始まっています。
天武紀(上)「儵怱(にわかに)口噤むひて言(ものい)ふこと能わず。
と、言うフレです。
しかもです。
能・ですよ!本能寺の本能一族と同一犯です。
フレは→枕詞・で→布留にかかります。
布留は→石上(いそのかみ)で物部一族です。
(♪死んでなんかいません~~!)
生きていたのです。
(文面は→私の家の事と聖徳太子の事は話してはいけない)と言う文です。
これは、人体に苦痛を与える拷問付フレです。
物部一族は→滅んだ!この歴史はでっち上げの歴史です。
滅んだ本人が推古天皇一族や聖徳太子一族を滅殺して、現在の天皇になりすましています!