零と0!

過日テレビ番組で零と0の違い、というのをやっていました。
このうち、姫路城が「零」を象徴する建築物なのです。
いわゆる→演繹法の哲学に裏打ちされた深い意味があります。

1000人が10000人でも、火熨斗(ひのし)を持たせておけば、誰もが間違え無いで→この人、と断定できます。
私はこれを→カメラ効果・と呼んでいます!
映像の無い時代・多数の中から特定のモノを書き記すことの困難が、何かを持たせておけば、一気に解決します。
これって、結構多い例が歴史上に残してありますから、皆さんも探して見て下さい。

日本には「熨・のし」を付けて還す!と言う言葉があります。
日本人の誇りが、現在天皇(偽物天皇)とその一族に→熨を付けて返した建築物が「姫路城」です。
熨・は→尉・火の合字です。
火は→万葉集では→2・2火(告火・つげなむ)と読み、22火(死なむ)と読みます。
あまりにも恐ろしいので→黙っています!
それぐらい現在天皇とその一族は日本人に嫌われていたのです(先祖達)が。
尉→炭火が白く灰になりたるもの・ここに零の本質があります。
たとえ死んでも「灰」になって未来永劫を見届けてやる!
姫路城の天守閣の窓に→後に手が加えてあります。
この窓が→目・瞳→眸です。
これ以上は黙っています!