万葉集と本能寺 !

万葉集3221。
「冬こもり 春さり来れば 朝には 白露置き 夕には 霞たなびく 汗瑞能振 木末が下に うぐいす鳴くも」
意味を解釈するのではありません。
この歌の→木末(こぬれ)が下、に注目して下さい。
私は長い人生で「木末が下」で鳴くうぐいすを見た事がありません。
日本ではバスガイドさんなどを→うぐいす嬢、と言います!
明らかに、この木末の下では女性が犯されています!
汗瑞能振、は本能寺の能と同じ人々だ、と言っています。
能の左側の字は→肙、という漢字の略体字です。壓切り太刀の壓の中の字。
肙は→ボウフラ(地域によっては→ボウフリ)と言います。

明らかに意味を歪曲して訳してあります!
和歌や俳句の「句」という、本来の意味を書いて置きます!
句→本義は言語の屈曲して節をなす事!
言語文章に於いて、疆(さかい)を分かち節をかぎる事。古くは言、と言ったが秦漢以来これを「句」といへり。
またマガルと読む時は俗に→勾と書く。
講談社の大字典からの引用です。
つまり、和歌や俳句は→曲がった人々を題材にして読まれていた!という事です。
日本では不審者を→曲者(くせもの)と言います。
この端的な例が彦根城にあります。
「六曲一双」の屏風絵。この絵は男女遊楽の図、いわゆる情事です。
6→曲者→本能寺。
この事を書いてあります。
彦根城は伊井家。
曲者の一味です、と持たされたのが「六曲一双」の屏風絵。
歴史家の方々や研究員と称する方々よ!天皇に気兼ねして、その本来の意味を歪曲しないで下さい。
あなた方が現在では→曲者の代表者です。
今日はここ迄です。