万葉集と本能寺

長い歴史の彩を書く事の困難さは、想像しているより遥かに複雑化しています。
ましてや、この歴史を改竄しています!
が、ともかく起承転結で前に進めたいと思います。

皆さんは万葉集を読んだ事がありますか?
想像するに、ひらがなに翻訳された万葉集なら、読んでいると言う程度だ!と思います。
ましてや、この歌が暗号化されたいる、などとは思いませんから、受験勉強の為の暗記程度、疑問視する事無く通過している、と思います。

万葉集を開くと、斉明天皇皇極天皇)という、奇妙な方がポツンと佇んでいます。
私はこれを万葉集という畑の鹿驚(カカシ)だと思っています。
(見かけばかりもっともらしくて何の役にも立たない人・の代表者)

さて、この中に天武天皇の歌があります。
「吉き人の 吉しと吉く見て 吉と言ひし
吉野 良く見よ 吉き人よ君」
この歌は(よくよく見たまえよき人たる君よ!)と言う、忠告の歌です。
漫然と読んでは(いけない!)一点一画と言えどもおろそかに読むな!という意味です。
この事を踏まえて、次の額田さんの歌を読んでみます。
「あかねさす 紫野行き しめ野行き 野守は見ずや 君が袖振る」
天皇遊猟蒲生野 時 額田王作歌。
どう読みましたか?
この歌中の「野」は(ぬ)と読ませています。
ぬ・は怒や努というのが定説です。
これって、人間の性に関する単語の無い時代の「H、つまり、性行為」を表している言葉遣いです。→女の又の力。
あかね→天皇、や、君にかかる枕詞。
袖振る→石上神社、かかる枕詞。
そうすると次の訳になります。
斉明天皇は、石上神社の神主さんとHしている」
斉明天皇が(大化改新の時たらし込んだ天皇・だから、本来なら天皇では無い)浮気好きの女だ!と額田王さんの歌です。
これを補完している文章が(皇極記の岩崎本です)
次のように記されています。
「民の家 財宝 陳(ふる)き酒」
民の家とは→斉明天皇の子宮を家、と表現しています。(誰でも・イエロータクシーのハシリ)
財宝とは→石上神社にある(七支刀)です。
この神主さんが相手。
もう一人が陳き酒→酒林、すなわち大神神社の神主さん、と書いてあります。
また、この時の猟と言う漢字は、犭と鼠の難しい漢字の方(携帯には無い)が使われています。
狩り→犬を使った、冬期の狩りを狩りと言う。(日本語には規則があります)
(犭)と(鼠)の猟は→大なる猟で、説文には→犬田と注す。と書いてあります。
この国(日本)で(犬)とは→天皇とその一族の称です。
鹿も同じです。
これ等を→禽獣・と表現しています。
よって、京都御苑は→禽獣を養う場所・という意味があります。

以上から見て、額田さんは、異常事態が発生している、と警告の歌を読んでいる、とみなせます。
私の個人的意見ですが「人間猟」が行われていると思います。
時が移った現在ではありますが、日本人の生活習慣や文化の中に→夏期の猟はありません(存在していません)
猟は→秋から冬のものです。
この額田王さんの歌は→書紀の8年の五月5日の犭と鼠の猟であって、狩りではありません。
よき人・良く見よ、とはこの事です。
今日はここまでです。